【ED解釈】Conton Candy「Rookies」は最終話の心情を先に歌っている
──EDは“物語の後ろ姿”を歌う鏡だ。
OPが未来を見据える宣言なら、EDはその帰結・余韻・再定義を語る。
そして『メダリスト』のEDであるConton Candy「Rookies」は、たとえ最終話より先に流れていたとしても、最終話の心情を先取りしていた――僕はそう感じる。
目次
1|「Rookies」は“再生と承認の歌”
「Rookies」という言葉は、“新人・見習い”という意味でありながら、未完のまま挑戦し続ける者の象徴でもある。
フィギュアスケートで言えば、技術や勝敗を超えたところにある、“自分自身を認め直すプロセス”そのものだ。
いのりは1期で孤独に戦い、2期で外の世界に立ち向かう。最終話でたどり着くのは「完璧な選手」になることではなく、不完全さごと抱えて進む自分への着地だ。
その心情は、「Rookies」が鳴らす“何度でも立ち上がる勇気”と重なる。だからこのEDは、最終話の感情を先に用意していたように感じる。
2|歌詞が描く「未完 vs 完成」
EDの言葉には、「まだ終わってない」「またここから」という“継続の意志”が宿る。これは単なる努力讃歌ではない。むしろ、完成していない自分を肯定する歌だ。
作中でいのりが抱えてきたのは「技術の未完成」だけではない。もっと痛いところ――自分が自分を許せないことだ。
最終話で回収されるのは、勝利やメダルよりも先にある自己承認。Conton Candyの「Rookies」は、そこへ至る心の形を、最初から“歌”として置いていた。
3|ED演出としての“時間跳躍”
EDは物語の“終局”ではない。感情の回収点を先に提示する装置だ。
- OPが「未来を約束する声」なら
- EDは「その未来を心で受け止めた声」
つまり「Rookies」は、最終話の余韻を先に言語化していた。視聴者がクライマックスを迎えたあと、ふとこの曲を思い返すとき――“勝っても負けても、それはまだ始まりなんだ”という感覚が、曲のリズムや言葉から立ち上がってくる。
4|“未完成”を肯定すること=生きること
フィギュアスケートは採点競技だ。技術が点で評価される世界だ。だが『メダリスト』は、点数で語られない感情の物語を描いてきた。
そして「Rookies」は言う。
完成していなくていい。それでも立ち続けろ。
それは最終話の心情そのものだ。勝敗よりも評価よりも、自分を抱きしめる瞬間を歌っている。
最終話でいのりが見せたものは、「完璧なジャンプ」ではない。自分を許す瞬間だった――そう感じた視聴者ほど、このEDが“先に答えを歌っていた”と気づくはずだ。
結論|ED「Rookies」は最終話の心情を先読みする詩
Conton Candy「Rookies」は、単なるエンディング曲ではない。それは、物語の“帰結”を先に歌った詩だ。
完成を目指すのではなく、不完全ごと受け止める勇気。傷つきながらも進む意志。そして、自分自身を許す瞬間。
この歌は、最終話の心情を言葉として先に用意し、視聴者の内側で“感情の回路”を作っていた。
勝利より先に、赦しがある。
その順番を、EDは静かに教えてくれる。



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